結果が全てと言われるけれど

おはようございます!

試験に限らず、結果が全てと言われることってよくありますよね。

結果だけが評価の対象、過程は評価されない。

通関士試験についても同様で、受験生の人格や頑張りなどは一切評価されず解答用紙に記された番号が正解の番号と一致しているかどうかの結果だけで合否は決まります。

でもね、私思うんです。

結果が全てと表現すること自体に何も生産的な意味は無いのではないかと。

なぜなら結果がでるかどうかは未来の出来事なので、今やっていることが結果につながるかどうかを完璧に予想することなんてできません。
すると、今できることは結果につながりそうなことをやるだけです。
そのため結局は、結果につながると言えそうな合理的な過程をたどることが一番大切なのではないでしょうか。
仮にそのような過程をたどって失敗したとしても、ベストはつくしたのだからそれ以上どうしようもなかったはずですよね。あとは、その失敗を生かして未来につなげることしかできません。

受験生皆が合格する試験ではありませんが、ベストを尽くすことはその気になれば可能なはずです。
自分の意思で受けると決めた以上、結果が出ても出なくても、後悔しないだけの勉強はしたいですね。
きっと、その経験はあなたの宝物になるはずです
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みこ

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